当会の理念

当会では、文法体系も音韻(発音)体系も論理構成も日本語とは全く異なる英語の学力を一定期間で可能な限り引き上げるために、以下のような考えのもとに指導を行っていきます。

 

  • 当会は、伝統的な学校英文法を軽視しません。それを外国語としての英語をできるだけ正確に理解し、そして組み立てる貴重な基準になるものと考えています。文法体系の理解に基づいた読む力、聞く力の向上こそが、より高度な伝える力への橋渡しをする重要なカギになるとも考えています。当会では文法に即して、常に一定のやり方で、できるだけ多くの英文に親しんでもらいます。その上で、理解した英文を何度も何度も聞き込み何度も何度も読み込むことによって、英語の型を身体に染み込ませ、皮膚感覚的に理解できる範囲を少しずつ少しずつ押し広げていくことを目指します。
  • 月並みな言い方ではありますが、当会は英語学習をスポーツや音楽の練習と同様のものと考えています。一貫した指導方針のもとで日々繰り返される努力により、頭や体に刻まれ蓄積されていくものにこそ大きな価値があると当会では考えています。「コツ」や「要領」や「ポイント」や「ちょっとしたアイデア」のみを求める生徒さんには当会は向かないかもしれません。
  • 当会は必ずしも教室を教室を共有するものが楽しい時間を過ごす場であるとは考えていません。ときに緊張に満ちた時間を共有し、ときに単調ともなる作業を重ねる場であると考えています。生徒さん一人一人に、大きな成果の背後に常に存在する日々の研さん、地味で孤独な鍛錬の時間を想像できるようになってもらいたいと考えています。
  • 当会では、ときに言語学や英語史などのより幅広い知見を援用しつつも、そうした知見から、あるものを必要以上に単純化したり、あるものを必要以上に複雑化したり、あるものを必要以上に大袈裟に見せる指導を排します。極端な幻惑を与えないこと、極端な期待を抱かせないことや極端な不安を感じさせないことにできるだけ配慮しながら、生徒さんの努力が最大限に報われるようバランスのとれた指導を行っていきたいと考えています。
  • 当会は「英語脳(?)」や「英語でものを考える(?)」などといった軽々しいレトリックを排します(それを全面的に否定するわけではありませんが、それは英語の文法に従って日本語の組み換え作業を行っているにすぎないことが多いようです。また、それは英語学習において行って当然の作業であり、その作業を通じて一般的な英語学習者は実際には日本語を駆使せざるを得ません)。外国語としての英語を客観的にとらえ、日本語との仕組みの違いを明確に意識することこそが、より理にかなった深みのある学習につながっていくものと考えています。

 

将来における第二言語としての英語の習得をも見据えつつ、生徒さん一人一人の可能性を確実に高めていくことが当会の役割であり使命であると、当会は考えています。その役割と使命を全うするため、当会は徹底的に自らに厳しく謙虚な姿勢で、指導の質の向上に努めて参ります。

 

 

 

私たちを取り巻く世界は、ますます不確実性に満ち溢れ、ほんの少し先の未来でさえ予測できない状況にあるようです。そのような中で世界が国際化・グローバル化へ向かう傾向は、ほぼ間違いなく今後も続いていくように思われます。また同時に世界の中で、英語が国際語としての地位を固めていく状況も、ほぼ間違いなく今後も続いていくように思われます。

 

こうした状況の是非は別にして、一人の日本人として世界と向き合おうと考えたときに、英語が苦手であるというだけで大きなチャンスを逃すことになったり、ひどく自尊心を傷つけられたり、英語が苦手で世界と対等に向き合えないがために、日本人としてのアイデンティティーすら感じられなくなる、ということもあるかもしれません。

 

言葉は思考や意思疎通の道具でしかありません。しかし言葉という道具で精緻で複雑な思考や意思疎通を行えることこそが、私たちを人間たらしめているとも言えるでしょう。英語が好きであろうと好きでなかろうと、英語に習熟するための努力は、貴重な時間を費やすに足るかけがえのない経験となり、生徒さんの将来の糧になってくれるものと確信しています。

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